2007.09.30 (Sun)
ここみのプロフィール
ここみこと庄司心美こと、庄司と申します。
宮城県在住(岩手県出身)
1953年生まれ
人生の折り返し地点を過ぎて、益々好奇心に燃えています。
35年前
埼玉の看護学校に入学して、
東京でボランティアのはしりの
「車椅子で街にでる運動」に参加して、歩行者天国に歩き、
その後、自分でボランティアグループを立ち上げています。
その時のグループ「雑草G」は、私が東京を離れてからも後輩たちが続けてくれて、なんと去年まで・・・・
私が始めた時に生まれてなかった人が続けてくれていまして、感謝感激ですね。
活動内容は変わっていましたがね。
活動の基本は、障害のある人ない人、子供大人、おばあさん、おじいさん、みんな同じ立場(してあげる人、してもらう人のない)のグループとして立ち上げました。
後から聞いたノーマライゼーションの考え方ですね。
そして、それぞれ自分を大切にしてもらうために、参加は自由。
「去る人を追わず、くる人を拒まず」
このときの経験が基礎になって、以後の生き方(波乱万丈ではありますが)を作ってきたように思います。
その経験を活かし、
千葉県の病院に就職し、障害児の看護、療育に携わっています。
なんと、呼んだわけでもないのに、ボランティアの仲間(他グループも含め)が同じ病院や、千葉に集まって来ました(笑)
仲間たちの力で、病院内では、子供たちを外に出す(閉鎖的な環境を解放)運動を行っています。
厚生省に背を向けての活動は、長くは続けられませんでしたが・・・
関東在住10年後に、千葉から実家に近い仙台に転居しました。
ここでは、未熟児の看護をしています。
500グラムの赤ちゃんから、
この世に生を受けても、元気に生きられない赤ちゃんの世話をしていました。
障害のあるお子さんとの付き合いが長くあったものですから、赤ちゃんの将来が見えてきて、悩むことも多くなり、もともとの好奇心もうずき、病院をやめています。
今度は、医療とはまったく関係のない、
きものの着付け講師を、数年しています。
呉服店にパートで入り、ここの社長にサービス業を教えてもらっています。
看護婦と学校の先生は、サービス業に転職は不向きだと・・・
頭を下げることが下手なんだそうです。
毎日、鏡とにらめっこして、おじぎの練習をしたり・・・
よその店員さんの姿を観察したり・・・
「看護婦だってサービス業ができるんだぞ」なんて思ったりしてね(笑)
結婚後、5年の看護師ブランクのあと、病院に戻り、高齢者の看護をしています。
その後、訪問看護ステーションの立ち上げにかかわり、
訪問看護し、ケアマネジャーの資格もとり、
在宅医療、ケアマネの仕事をしています。
ここで、高齢者医療の抱える悩みをたくさん聴いています。
もともと、介護保険制度の前からのかかわりでしたが、病院内で見る家族、在宅で見る家族の様子が、180度変わって見えたのは、大きな収穫です。
これから、病院のトップに立つ人は、在宅医療を携わってほしいと、訴えていました。
最後は、訪問看護ステーションの管理者を経験して、
障害者や、高齢者など弱い立場にいる人と
寄り添って仕事が出来ないのを感じ、やめています。
大きな組織の中では、自分の思いを達成させることはできず、
困っている人に手を差し伸べたくても、収益につながらないことはするな、
で、行動が制限されてしまいます。
ほんとは、付加価値として、組織の価値が上がると思うのですが、
組織の考え方ですから、仕方がありません。
こんな不完全燃焼の思いが、カウンセラーやコーチになって、
相談にのっていければの思いになりました。
ある難病担当の看護師さんの、「コーチになって、患者さんを
サポートしてもらえないですか」との言葉が後押しをしてくれました。
現在、そのような過去の経験を活かしながら、
病気や介護で悩んでいる人たちの相談にのっています。
そのほか、現在は
メルマガ配信スタンドスのオーナー
カウンセラー(看護、介護、結婚、不登校などの悩み)
コーチ
きものの着付け講師
を専門に活動しています。
私生活では、長男(大学生)、長女(高校生→不登校)と3人暮らし。
他に猫3匹と、亀さんとで、仲良く暮らしています。
私のビジョン
・介護などで悩んでいる人に、寄り添ったカウンセリングを
行っていきます。
・ネットのスキルを、病気で動けない人と共有し、
ベットの上でも働ける環境を作っていきます。
・すべての人が、優しく生きられるように、
問題解決を促していきます。
ほほえみを第一に・・・・ここみ。より
宮城県在住(岩手県出身)
1953年生まれ
人生の折り返し地点を過ぎて、益々好奇心に燃えています。
35年前
埼玉の看護学校に入学して、
東京でボランティアのはしりの
「車椅子で街にでる運動」に参加して、歩行者天国に歩き、
その後、自分でボランティアグループを立ち上げています。
その時のグループ「雑草G」は、私が東京を離れてからも後輩たちが続けてくれて、なんと去年まで・・・・
私が始めた時に生まれてなかった人が続けてくれていまして、感謝感激ですね。
活動内容は変わっていましたがね。
活動の基本は、障害のある人ない人、子供大人、おばあさん、おじいさん、みんな同じ立場(してあげる人、してもらう人のない)のグループとして立ち上げました。
後から聞いたノーマライゼーションの考え方ですね。
そして、それぞれ自分を大切にしてもらうために、参加は自由。
「去る人を追わず、くる人を拒まず」
このときの経験が基礎になって、以後の生き方(波乱万丈ではありますが)を作ってきたように思います。
その経験を活かし、
千葉県の病院に就職し、障害児の看護、療育に携わっています。
なんと、呼んだわけでもないのに、ボランティアの仲間(他グループも含め)が同じ病院や、千葉に集まって来ました(笑)
仲間たちの力で、病院内では、子供たちを外に出す(閉鎖的な環境を解放)運動を行っています。
厚生省に背を向けての活動は、長くは続けられませんでしたが・・・
関東在住10年後に、千葉から実家に近い仙台に転居しました。
ここでは、未熟児の看護をしています。
500グラムの赤ちゃんから、
この世に生を受けても、元気に生きられない赤ちゃんの世話をしていました。
障害のあるお子さんとの付き合いが長くあったものですから、赤ちゃんの将来が見えてきて、悩むことも多くなり、もともとの好奇心もうずき、病院をやめています。
今度は、医療とはまったく関係のない、
きものの着付け講師を、数年しています。
呉服店にパートで入り、ここの社長にサービス業を教えてもらっています。
看護婦と学校の先生は、サービス業に転職は不向きだと・・・
頭を下げることが下手なんだそうです。
毎日、鏡とにらめっこして、おじぎの練習をしたり・・・
よその店員さんの姿を観察したり・・・
「看護婦だってサービス業ができるんだぞ」なんて思ったりしてね(笑)
結婚後、5年の看護師ブランクのあと、病院に戻り、高齢者の看護をしています。
その後、訪問看護ステーションの立ち上げにかかわり、
訪問看護し、ケアマネジャーの資格もとり、
在宅医療、ケアマネの仕事をしています。
ここで、高齢者医療の抱える悩みをたくさん聴いています。
もともと、介護保険制度の前からのかかわりでしたが、病院内で見る家族、在宅で見る家族の様子が、180度変わって見えたのは、大きな収穫です。
これから、病院のトップに立つ人は、在宅医療を携わってほしいと、訴えていました。
最後は、訪問看護ステーションの管理者を経験して、
障害者や、高齢者など弱い立場にいる人と
寄り添って仕事が出来ないのを感じ、やめています。
大きな組織の中では、自分の思いを達成させることはできず、
困っている人に手を差し伸べたくても、収益につながらないことはするな、
で、行動が制限されてしまいます。
ほんとは、付加価値として、組織の価値が上がると思うのですが、
組織の考え方ですから、仕方がありません。
こんな不完全燃焼の思いが、カウンセラーやコーチになって、
相談にのっていければの思いになりました。
ある難病担当の看護師さんの、「コーチになって、患者さんを
サポートしてもらえないですか」との言葉が後押しをしてくれました。
現在、そのような過去の経験を活かしながら、
病気や介護で悩んでいる人たちの相談にのっています。
そのほか、現在は
メルマガ配信スタンドスのオーナー
カウンセラー(看護、介護、結婚、不登校などの悩み)
コーチ
きものの着付け講師
を専門に活動しています。
私生活では、長男(大学生)、長女(高校生→不登校)と3人暮らし。
他に猫3匹と、亀さんとで、仲良く暮らしています。
私のビジョン
・介護などで悩んでいる人に、寄り添ったカウンセリングを
行っていきます。
・ネットのスキルを、病気で動けない人と共有し、
ベットの上でも働ける環境を作っていきます。
・すべての人が、優しく生きられるように、
問題解決を促していきます。
ほほえみを第一に・・・・ここみ。より
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